世界は逆説で出来ている。

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当たり前すぎる話。

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お金は会社に勤めて、給料として頂くものだ

労働の対価として、お金をいただくものだ

売上とは、単価×数量(人数)だ

病気になったら、医者の言う通りにするものだ

学校へはきちんと、通うものだ

 

まぁ、このあたりは、世間一般的にも言われていて、ごくごく当たり前のことですよね。

*正しいとか、正しくないとかの議論では決してありません。

 

でも、この当たり前。

当たり前だからといって、あなた自身がその当たり前をそのまま鵜呑みにしても、鵜呑みにしなくてもよいはずですよね?



先ほどの例でいうと、

 

売上を上げるためには、

 

単価を上げる

数量(人数)を増やす

 

ことで、売上があがることが当たり前だと思っている人は、一生懸命に単価を上げたり、数量を増やそうとしたりして、売上を上げようとする。

一方で、そうではない当たり前を持っている人もいて、そうではない当たり前をもとに、バコンっと、売上を上げているわけです。



これは、お金を頂くということ関しても言えて、

 

会社に勤めて、給料として頂くということが、当たり前だと思っている人にとっては、その当たり前に沿った形で目の前で現れているわけです。

一方で、そうではない当たり前を持っている人もいて、そうではない当たり前をもとにお金を頂いているわけです。

 

繰り返しますが、正しいとか、正しくないとかの議論では決してありません。



あなたにとって、当たり前だと思っていることは、他人にとって当たり前ではありません。

当たり前の話ですが。。。

 

当たり前だと思っていることであろうとも、

当たり前過ぎて、当たり前だと思うことすら一ミリも疑っていないことであろうとも、



結局、各自それぞれの当たり前に沿った形で目の前の現実が展開されているだけのことなんですね。




じゃあ、目の前の現実を変えるには、

 

自分にとっての「当たり前」をガラリと変えてしまえば、現実だって、ガラリと変わるわけです。

当たり前の話ですが。。。



自分が持ち合わせている当たり前と、目の前の現実との「ズレ」があるならば、現実をこねくり回してどうにかしようとするよりも、自分が持ち合わせている当たり前をガラリと変えてしまった方が簡単です。



この当たり前。

 

言い換えると、定義付けとも言えます。

 

冒頭で、お伝えした

 

お金は会社に勤めて、給料として頂くものだ

労働の対価として、お金をいただくものだ

売上とは、単価×数量(人数)だ

病気になったら、医者の言う通りにするものだ

学校へはきちんと、通うものだ

 

これらが、定義付けですね。

 

つまり、何か現実を変えたければ、まずは、当たり前(=定義付け)を変えましょうよ、という提案です。

 

P.S.

何に関しての定義を、どのように変えましょうか?

https://goo.gl/forms/PZxavn4mXNdihf142