世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

待てないから、得られない。

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基本的に人って、せっかちなんです。
 
これをしたら、これが得られる。
ほぼ、確実に・・・
 
そんなことじゃないと、やりたがらないのが、
当然といえば、当然。
 
でも、基本的にはそんなものは、
ほとんどなく、恐らくそんな感覚では、
当然、取り掛かることもせずに、
いつまで経っても変わらない現実に
イライラし続けることになる。
 
そうなると、やっぱり必要なのは、
インパクトのある経験。
 
頭をハンマーでガツーンと殴られるような。
もう、目の前の現実がグレーにしか見えないような
現実感だったり。
 
人って、そのくらいの経験をしないと、
そう簡単には変わることは出来ないのかもしれない。
 
 
でも、そんな予想の範疇を超えるような経験って、
自分で狙って出来るようなことではないし、
(出来れば、避けたいことだからこそ)
予想を超えているのだから、今から予想するのは
ムリなわけで。
 
そう考えると、この部分は、コントロール出来るものではない。
 
来たら来たで、
「あぁ、いよいよ自分にもこれ来たか。」
と受け入れていくしかなく。苦笑
 
 
と、まぁ、何だから湿っぽい、暗い話に感じられて
しまうかもしれないけれど、
 
じゃあ、成果を待つことを
 
ジリジリしながら、
「いつだ?いつだ?」として待つのか、
 
まぁ、「そのうち、くるでしょ」という感覚で
待つのか?
では、心的感覚も全くことなるので。
 
このあたりが異なるのであれば、当然、それに呼応して
現実だって、変わってくるはず。
 
 
この待つという感覚も、
 
来るという確信を持って待つのと、
来るの?来ないの?という感覚で
待つのとでは大きな違いがある。
 
 
ただ、この確信って難しく感じる人も多い。
 
 
この確信って何か?というと、
未来に原因をつくるということ。
 
未来に原因?
 
現在や過去に原因があって、未来が結果ではないの?
と感じる人も多いかもしれない。
 
でも、やっぱり逆なんですよ。
 
未来に原因をつくる
それが確信をつくる。
 
ごくごく簡単な例を挙げると、
 
あなたの自宅から、最寄りの駅にいくとする。
行こうと思った時点では、行ってない、たどり着いていない。
 
だけれど、ごくごく近い、未来にたどり着いているという
確信、これが原因となり、今の時点から見た未来(ついた時点では現在・過去)
である、辿り着いたタイミングが結果となる。
 
 
何か変な話に聞こえますかね?
 
 
のどが渇いて、目の前のペットボトルに手を伸ばす。
これだって、理屈は一緒。
 
他のことだって、全ておんなじだと思うんです。
 

 

kaigaiinkyo.hatenablog.com

 

 

 

P.S.

 

独居老人というと、ネガティブなイメージを
持つかもしれないけれど、そんな思い込みをふっ飛ばしてくれる本。
やっぱり、自分自身が納得する形で、生きたいように生きるのがなにより。
 
世間体や一般常識など関係なしに。