世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

絶望しきったその先に。

ゴール設定だなんだといっているけれど、基本的に人は放っておいたら、絶望の方向へ向くものだと思っていて。
*僕だけ?
 
振り返ってもみると、僕自身、絶望少年だった気がする。
 
だからこそ、意識して、自分の機嫌をとっていく。
意識をするからこそ、自分の機嫌をとることが出来き、
何もしないから、絶望するとも言える。
 
 
絶望
可能性
 
絶望があるからこその可能性。
可能性があるからこその絶望。
 
コントラストがあるからこそ、それぞれを認識できるわけで、どちらか一方しかなかったら、のっぺらぼうな感じでしかない。
これは、色んなことにも言えて。
 
 
 
そう考えると、絶望って悪いように捉えられがちだけれど、絶望を知っているからこそ、可能性の本当の意味だって、感じとることが出来るともいえる。
 
となると、絶望って、本当に絶望なのか?
 
 
絶望=ダメ!
という定義付けがダメで、絶望そのものがダメではない。
 
 
絶望は、絶望で感じ切ってしまう。
別に絶望自体が悪いものではないのだから。
 
で、絶望を感じているなぁ、と自分で気づいて、絶望を感じている状態は、不快だと感じたら、自分の機嫌に意識を向けて、機嫌を取っていく。
 
ステップとしては・・・
 
1.「お、今日も絶望を感じているぞ」と気づく*意識をしないと、絶望。
2.「絶望」は、不快だと感じた
3.不快ではない方向へ意識を向ける。*意識して自分の機嫌をとる
 
 
で、ポイントとしては、ステップ2.の「不快と感じた」で、不快と感じずに、実は絶望を感じていることを好んでいる人だっているかもしれない。
だって、色んなことを自分で感じ取ることが出来る中で、その中で「絶望」を選択しているのだから。
 
気づいた上で、それでも尚、意識をして選択しているのであれば、それはしたくてしていることだし、
仮に無意識だとしても、「あ、絶望を感じている」(ステップ1)と気づいたら、そこからどのような選択をするかは意識を出来るはず。
 
クセみたいなものなので、気づいたら修正をするだけ。
 
無意識で絶望し、それに気づきつつ、また絶望を選択するようであれば、絶望を好んでいるだけ。
 
 
 
絶望して、絶望して、絶望しきったところに、解があるのかもしれない。
解、そもそも何なのか?は自分自身で選択出来る。
 
 こうして、書きながら色んなことを浄化していく。
 
 
 
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