世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

「変わりたい!」では、変われない?

不思議なもので、変化するぞ!と力が入っていたりすると、
全然、変化出来ないのに、
 
力が抜けたり、執着がなくなると、
気づいたらいつの間にか変化に気づく。
 
 
 
執着しろ!
執着なんか捨てろ!
 
どちらも、耳にしたことはあるとは思うけれど、 どっちも正しいと思っていて、その瞬間、瞬間をみたら、当然、「執着」という面から考えたら、執着をしているかしていないかのどちらかしかなくて。
 
そうではなく、めちゃくちゃ執着する期間もあれ、執着して執着して、執着しすぎてつかれて、忘れたころに、また思い出したら、いつの間にかいい具合に執着が外れて、実現している。
 
 
で、この絶賛執着期間中には、とことん執着をしてみる。
これが、焦点があるところが、拡大するともいえて。
 
とりあえずは、執着をして執着をして、ぼやっとした焦点を絞りまくってみる。
 
まず、その期間がないことには、ぼやっとしたま、曖昧なままなので、行き先が決まっていないから、行けない。
これが、北海道理論
 
結果は、想いの総量
 
というコトバがあるけれど、結局、執着しまくった総量で、できるか出来ないかは決まってくる。
 
 
逆に、大した執着もなく、ただなんとなくであれば、なんとなくの成果だし、執着をしまくれば、執着しまくっただけの成果。
 
 
そう考えると、非常にシンプルであって、本心で得たいかどうか?結局、それ次第でしかなくそれがなく勝手に自分で得たいと思う想いが少なければ、その程度でしかないだけ。
 
 
で、現状維持の壁は想像以上にに厚い壁なので、それを動かしたり、ぶっ壊したりするのはやっぱり執着。
 
でも、これも散々執着して挙句、スムーズにいくかというと、「そんなことではなく、とにかく執着してみて、それでも厚い壁はびくともしなくて、でも執着して、、、
 
とやっているうちに、もう執着するのも疲れが、諦めかけて、もうちょっとやった先に、壁が動いたりする。
 
え?そこまでやらなきゃらないの??
 
と感じたようであれば、まだやろうとしているコト自体、得たいものではない証拠とも言える。
 
本心で得たければ、執着するはずだし、そもそも執着もせず、すぐに忘れ去ってしまうようなことは、その程度のこととも言える。
 
 
だからこそ、一見、遠回りにみえても、執着できることをみつけて、執着しが方が、精神衛生上もいいし、成果だって上げやすい。
 
 
生きたいように生きることを阻害する3つのコトとは?
 
 
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