世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

手を打てども、手を打てども・・・

手を打てども、手を打てども、全然、成果が上がらない。
 
そんな時って、理由は2つしかなくって、
 
やり方・方法が間違っている
やる量が少ない(単に自分は手を打っていると勘違いをしているだけ)
 
このどちらかか、もしくは両方。
 
 
「やり方」「方法」といっても、いつもいっているように、大前提としては、まずはゴールの設定からだから、お間違えのないように。
ここの順序が間違っている、つまり、やり方・方法から入ると、大抵、間違ったものを選択する。(理由は過去記事をご参照ください)
 
たとえば、
のんびり暮らしたいという思いつつ、実際は、「のんびり」というゴール設定をしていないがために、単にバタバタ忙しいだけで、全然、得たい成果を得られない・・・そんな状態になっていたり。
 
量の話とも関係するけれど、成果が出るかどうかも分からないくらいしかやってないのに、「成果が出ない・・・」と決めつけて、もうやめてしまったら、やり方・方法があっているかどうか?すら分からない。
*これは、成果が上がらない、理由の「両方」に該当
 
 
 
量に関して言うと、
 
「どのくらいやれば良いですか?」
というようなことを、聞く方が非常に多いけれど、
「得たい成果を得られるまで!」
 
としか、こたえようがない。
 
 
そうなると、「えーー」というような反応をされる。
なぜか?それは、そもそも
 
やること=苦役
 
と捉えているからこそ、しんどいわけで、いつも言っているように、自分が「没頭できること」を選択していれば、
 
「どのくらいやればいいですか?」
という質問って、そもそも出てこないはず。
 
 
 
だって、「それ」をやること自体、時間を忘れて、文字とおり没頭できることをやっているのであれば、むしろ、
 
「そろそろ、今日のところは、もういいんじゃない?」
くらいに言われるもの。
 
そのくらいだからこそ、やっていて、楽しいし、当然ながら成果も上がる。
ダントツに。
 
あと、とーっても多い勘違いなんですけれど、何かを読んだりしているのって、手を打っていることには、全く(!)入りませんよ。
一生懸命に本を読んだり、人のメルマガやブログを読んで、「何かやっている感」があるかもしれませんが、それって打ち手に入りません。
 
このあたりって、非常に危険なんですよね。
子どもの頃の名残なのか、何かを読んでいる、勉強している風を吹かしている(苦笑)と、何だか自分は、やっている感が満載になってしまう。
このあたりについて、ご興味がある方、いますかね?
 
 
さらに、そもそも、設定したゴールに到達したいわけですよね?
人から、設定されたゴールではなく、自ら「そこ」へ行きたいわけですよね?
 
であれば、そこへ行くために、あれこれやってみたり、もっとここをこうして工夫しようというのが、出てきて当然だと思うのです。
それがない場合のゴールって、単なる借り物のゴールであって、たとえば世間一般的に良しとされているから、自分のゴールと勝手に勘違いしていたり、単に人の目を気にして、自分不在のゴール設定だったり。
まぁ、理由は色々とあれども、結局、あれこれ工夫したりしないゴールだったら、その程度のゴールだったというだけ。
だからこそ、ゴール設定ってとても大事なんです。
 
 
これを
 
(人から言われたから)やらされている
苦役
辛い
 
こんな感覚を持っていれば、「どのくらいやればいいか?」ということが頭をよぎっても当然といえば、当然。
 
 
 
没頭できることと、到達したいゴールとをうまく照らし合わせていけば、自然と上りエスカレーターにでも乗るように、すーっと成果が上がっていくのに、まず「ここ」に「解」があるということを、認識していないんです。
 
 
辛いことを乗り越えれば、その先に良いことがあるとか。
ホントに、良いことありましたか?
こーゆー設定をしていれば、単にそれに応じた現実が目の前に現れる、ただそれだけ。
 
 
いつもの、「ゆるい感じ」と異なり、ちょっと、厳し目な感じでしたかね?苦笑
 
であれば、読み違いをしていると思います。
言っていること、スタンスは、いつもと変わらないことを言っているはずです。
 
 
 
あなたが没頭できない、3つの理由とは?
 
 
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