世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

八方塞がりな状況だからこそ、自由になれる。

八方塞がりって、文字通り、八方を塞がれていて、
何の打ち手もみえない、ある意味では絶体絶命の
ような状態。
 
もう、駄目・・・(T_T)
もう、無理・・・(T_T)
 
 
でも、塞がれていると思っているのは、
その時点で、自分が見えている
範囲内での打ち手でしかなく。
⇒「その時点」での、勝手な思い込み
であるということ。
 
 
あぁ、もうダメだ。
何の打ち手も残されていない・・・
 
こんな八方が塞がれたから【こそ】、
見える打ち手は必ずある。
 
 
そんな打ち手は、少なくともこれまでの自分とは
異なった選択をするという意味で、自由だ。
 
もう、あなたを制限するもの、理由など
何もないのだから。
だって、絶体絶命なんですよね?苦笑
 
 
なぜなら、これまで自分が最善と思っていた
選択肢というのは、その時、その時で自分が
最善だと勝手に思い込んでいた
選択肢でしかないからだ。
 
それら選択肢って、まだ自分が見える範囲内での
選択肢しから選んでない。
何らかの制約は、人間誰しもしていて、平時であれば
あるほど無難な選択をする。
だって、敢えて自分の枠を外す必要など、基本的には
ないはずなので。
 
でも、もう八方塞がりであれば、そんな悠長な
ことは言っていられるわけもなく。
 
 
だからこそ、八方が塞がれた状態でないと
見えない打ち手が、見えてくる。
 
そういう意味では、まだ塞がっていない状態ならば、
枠・制限がある分、不自由であるとも言える。
 
 
八方塞がりだとしても、悲観することなど必要なく、
「あぁぁ、見えなかった打ち手がそろそろ、
見えてくる頃だなぁ・・・」くらいに期待していた
方が良いのでは?
 
 
 
「しっくりくる感」がある生き方の実践
 
 
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