世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

「ヤリタイこと」が分からないのは当たり前。

自分が心底「これがヤリタイ!」というモノがあって、
それがあれば、万事OKみたいな感覚を持ってる人が
多いようだけれど、実は違うと思っていて。
 
「どう在りたいか?」
「ヤリタイこと」
 
も似ていいるようでいて、違う。
 
 
「ヤリタイこと」が分からない・・・
という人がとても、とても多いのだけれど、
そーゆー人の共通点として、考えているだけで、
実は何もしていないという方が、非常に多い。
 
 
考えることは、もちろんとても大切。
大切なのだけれど、考えているだけでは、
何も体感ができていなくて、頭の中で
あれこれ繰(く)っているだけでは、
何の実感も得られない。
 
何の実感も得られないから、常にフワフワした
状態で、そのフワフワした状態はさらなる
フワフワした状態を呼び込んでしまって・・・
という無限ループ状態。
 
 
で、「ヤリタイこと」を考えたとき、
多くの人が陥ってしまうのは、
その仮に見つけた「ヤリタイこと」を
一生続けなければならない!ということに
とらわれていること。
 
別に方向転換なんて、これだけ時代が激変している
のだから、コロコロ変えたって全然OKだと思うのだけれど、
一生取り組むべきこと!を必死に探しているような状態。
 
もちろん、一生取り組むべきことを見つけることは
非常に大切なことだけれど、一生取り組むことが
できることをいきなり「ポンっ!」と閃いたりする
訳ではない。
 
そうではなくて、「今、この瞬間」から、自分が
ワクワクすることを、「主体的に選択」する
ことから全てははじまると考えていて。
 
「主体的に選択」して、何かどんなに小さなことでも
良いから、「どう在りたいか?」をイメージしつつ、
小さな行動をしてみて、それを続ける。
 
そうすることで、段々と、「ヤリタイこと」が
ぼんやりと見えてくる。
 
「ヤリタイこと」というのは、あくまで方法・手段でしかなく、
「方法論の罠」ということを、よく言っているけれど、
「ヤリタイこと」を追うことは、手段の目的化に
陥ってしまっているとも言える。
 
だからこそ、大事なのは、「どう在りたいか?」
 
 
 

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