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カンニングのすすめ~他力の使い方と面倒くさがりには生きやすい世の中に

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インドのカンニング風景

 

 

 

 

学校教育と、社会に出てからの違い。
 
その一つに、「カンニング」がある。
 
学校のテストでは、カンニングはNG
でも、社会に出てから、既にできる人・できている人から教わることは、
全然OK
 
 
 
テスト自体に、問題があるという見方ももちろんできる。
「知っているか知らないか?」という試験自体、意味があるものなのか?
検索して調べれば分かるようなことを、いちいち聞くのか?
とはいえ、「詰め込み教育」の批判はあれど、一定の知識は入れておく
必要があるよね?
 
という諸々の考え方はあるにせよ、
何でも持ち込み可能のテストに
するということ自体は可能だと思う。
 
 
と、テストそのものについてが主題ではない。
 
 
カンニングNGのテストをくぐり抜けてきて、
いま社会に出ている人たちは、どうも
まだカンニングNGの感覚が抜けていないような気がする。
 
 
特徴として、
 
・自分自身がマスターをする必要があるという思い込み
・まずは、できるところまで自分でやってみるという思い込み
 
 
色々と特徴はあるけれど、そもそも自分でやらなくても良いよね?
ってことまでやろうとする。
 
真面目といえば、真面目なんだろうけど、そんなことしてたら、
もたないんじゃない?っていつも思う。
 
 
もっと、他力を使えばいいのに。
 
 
自分でできることと、人にやってもらった方がはやいこと。
 
それらを、きちっと分けて、自分ができることはやる。
他のことは、他人に任せる。
 
 
クラウドソーシングって知ってる?
 
いくつかサービスがあっって、たとば自分ができないことや、面倒なことを
募集すると、「それ、やりますよ!」って人が応募してきてくれるサービス。
 
面倒くさがりな僕は、かなり多用しているのだけど、インターネットがこれだけ
広まってくると、それまでは出会わなかったであろう人同士が、出会うことができる
ようになる。
 
ITの恩恵ってやつ。
 
・面倒なこと
・自分ではできないこと
 
これらを、どんどん、出来る人に任せてしまえる時代がきている。
良い悪いということではなく、結局、技術の進歩ってそういうことだと思う。
 
 
昔は、洗濯だって自分で洗濯板でゴシゴシやっていたわけでしょ?
それで洗濯機が家に入ってくるようになって、自分がやらずに済み、
今度はクリーニング屋さんができて、干したりたたんだりすることすら
必要なくなったでしょ?
 
 
コトバにすると、陳腐な感じになってしまうけど、「相互扶助システム」とも
言えると思う。
 
 
これって、かなり色んな分野で広がっていて、さっきの例だって、
日本国内だけでなく、海外でも同様のサービスが広まっていて、
インド人とかバングラデシュ人とか、ありえない金額で色んなことをしてくれる。
 
会計サービスなんかは、前からあった。
アメリカとインドとの時差を利用して、アメリカが夜の間にインドで会計処理なんかを
済ませて、朝に納品するみたいな。
 
 
あとは、僕がマレーシアで頻繁に利用しているサービスで、
URBERがある。
 
 
日本では、規制の影響でそれほど広まってはいないけど、マレーシアでは
かなり広まっている。
 
どんなサービスかというと、車を持っている人と移動したい人(タクシー感覚)との
マッチングサービス。
 
 
たとえば、僕が今いる場所から、車を使いたいとする。
UBERを立ち上げて、車のリクエストをする。
 
 
GPSで僕が今いる場所をキャッチして、
車を持っているけど、空き時間にお金を稼ぎたいという人が
びゅーっと迎えにきてくれる。
 
 
行き先も、リクエストした時にあらかじめ、伝えてあるし、
支払いもあらかじめ登録してあるクレジットカードで支払いできる
ので小銭すらいらない。
 
 
 
と、例を挙げたら、いくらでもあって、何でもかんでも自分でやろうとするというのは、
もったいないよ、ということをお伝えしたかったのです。