世界は逆説で出来ている。

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母のがん告知に立ち会って

僕が、ちょうど日本に帰国した際、母の精密検査の結果が出るということで、
病院に同伴していった。
 
うすうすは、聞いていたが、がんだった。
 
 
がん告知っていうと、昔のテレビドラマのイメージだと何とも言えない
重苦しい雰囲気の中で、医者が重い口をひらいて、
 
「がんです。」
 
というようなイメージをしていたが、結構あっさりしていた。
 
かなり、初期の段階であることも幸いした。
 
 
で、本題はここからなのだけど、告知した医者は
ほぼ事務的に「手術」と「抗癌剤」をすすめてきた。
 
僕はあらかじめ、母に「手術などしなくても良いがんがある」
という類の話を知っていたので、そんな内容の方を読ませておいた。
 
にも関わらず、医者に
 
「じゃあ、手術の日程は・・・」
 
なんて言われたもんだから、
母は手術をお願いします。
 
と半ば、前のめりな感じに。
 
 
すかさず、僕は「いやいや、一旦、持ち帰って検討しよう」
 
と伝え、その日は手術の予定をいれず、検討することに。
 
 
手術をしなくても良いガンの説明を簡単にすると、
がんにも2種類あって
 
・本当のがん⇒他に転移するがん
・がんもどき⇒がんっぽい感じだけど、悪さをするものではない
 
 
この2種類に厳密な区分けがされているわけではなく、
最終的にどちらのがんなのかを知るすべはない。
 
 
で、問題なのは「がんは早期発見」みたいなことが
キャッチフレーズとしてあるけど、そもそもの話
がん細胞なんて多かれ少なかれ、人は持っていて、
そんなもんを見つけたからといって、バシバシ切るのも
どうなのか?
 
という考え方がある。
 
 
がんを放置⇒転移するかもしれないけど、しないかもしれない
 
がんを切除⇒そもそも、転移性のがんは既に別に転移している可能性もあり、
手術によって体もダメージを受ける可能性がある
 
 
じゃあ、どっちを選べば?
ということになり、それは最終的には本人の判断になるのだけど、
どっちを選んだとしても、選択したことで、結局は何かしらの結果がでる。
 
再発するかもしれないし、何も起こらないかもしれない。
 
 
判断基準だって、あるようでいてない。
◯◯先生はこういっているけど、
××先生はあぁいうかもしれない。
 
 
こう考えると、そもそも「がんであること」など、最初から知らなければよかったのではないか?
とも思う。
 
 
・がん検診(検査機器の会社)
抗癌剤(製薬会社)
・病院
 
 
がんにまつわる周辺のビジネスが、基本的に人に恐怖をあおることで、
潤うという仕組みになっている。
 
 
そこには、「患者」という本来、主体であるべき者の存在が、今回の告知
を通じて、ないように感じた。
 
 
僕みたいなひねくれ者が同席しなければ、何事もなく手術の段取りが組まれるのであろう。
 
あれこれ考えたところで、選択肢はひとつしか選べない。
そこに、「正解らしい」ものはあるかもしれないが、「正解」はない。
 
ただ、ひとついえることは、
何かを選択すると、その選択に対する結果が起こる。
 
その結果を、どう受け止めるかは自分次第でしかない。
 
 
じゃあ、手術をするという提案に対して、
「そうじゃない。手術なんてする必要はない」という
考え自体は不要だったか?というとそんなこともない。
 
手術をする選択
しない選択
 
両方あることを知って、どちらかを選ぶのと
どちらかしか知らなくて、それしか選択できないこと。
 
 
これも、仕事や生き方でも同じなのかもしれない。
 
たとえば、昔ながらの職人の家に生まれて、小さい子から
家を継ぐことを、当たり前のように育てられ、仕事=職人
 
と周りからの環境によって、そう思う(思い込ませたり)
 
小さいころからサッカーバカで、将来はサッカー選手になることしか
頭にない、サッカーだけやっていればいい
と思う人もいるかもしれない。
 
 
一方で、自分は
「一体、何者で」「どうなりたいか?」
 
とかさっぱり検討もつかず、ただ時間だけがいたずらに過ぎていく。
そんな人もいるかもしれない。
僕は、どちらかというと、後者だ。
 
 
あれこれ、考えてばかりで、前に進まない。
人によっては、「自分のことなんだから、しっかり自分で決めろ」
と思う人もいるかもしれない。
 
でも、僕はぼくで「何もしない」という選択をしているとも言える。
*先延ばしともいうか。。。
 
その先に何があるは分からない。
何か起こるかもしれないし、何も起こらないかももしれない。
 
 
 
 
と、まぁ、こんなことばっかり考えているから、長閑な隠居生活も
忙しいんだな。
 
 
 
 
 
ところで、「がん」って名前、何とかならないかね?
すっごい、重い病気の感じがしてしまうので、
「がんです」って言われた途端、さらに症状が
悪化してしまいそう。
 
いっそのこと、名前を変えてしまったらどうか。