世界は逆説で出来ている。

「生きたいように生きる」ため、「生きたいように生きる人を増やす」ためのブログ

ガツンと認めてみる。

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本を沢山読んだり、色んな人の話を聞きに行ったり、
これらは不要とまではいわないけれど、
 
注意した方がいいのは、
人は自分の都合が良いことしか、目や耳に入ってこないということ。
 
 
野球が好きな人であれば、野球関連の話が耳に飛び込んできやすいし、
野球に興味がない人であれば、そもそも耳に入ってこない。
たとえになっているかな?
 
 
これは、人間の脳の構造上、やむを得ない部分ではある。
やむを得ない部分ではあるけれど、
 
このやむを得ないという部分をそのままにしておくと、それはそれで当然ながら今まで通りの成果であって。
だって、気づきを得るためのベースとなる考え方や、行動パターンなどがそのままであれば、得られる成果だって限定的だ。
 
じゃあ、どうするか?
 
 
 
実は、自分がみたくない部分、認めたくない部分
このあたりを直視したり、認めちゃうのがはやい。
 
なぜか?
自分が採ろうとする行動に、ブレーキをかけているのって、ほとんどこのあたりが関係していて。
 
たとえば、
 
自信のなさだったり、
変なプライドの高さだったり
 
色々とあれど、このあたりをガツンと認めちゃう。
ある意味、開き直りに近いくらいに。
 
 
見てみぬ振りをしているポイントを、敢えて直視することで、見えなかったこと、気づきにくかったことがみえてくる。
 
もうひとつは、やっり自分の枠を意図的に外していくこと。
毎度、おなじみの(苦笑)、現在や過去を一切無視しよう!というあれです。
 

 

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あっちこっちから振込が

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僕は、手法に拘りは全くない。
あくまで、理想の状態がベースにあるから。
 
 
だからこそ、収入の確保の仕方だって、ひとつの手法に偏ったりはしていない。
コンテンツメーカーについては、色んな波及効果があるので、オススメはしているけれど、あくまでひとつ。
 
 
振込元とは、あなたの口座に、お金を振り込んでくれる人や会社のこと。
もちろんそれぞれのルートの数、数だけでなく、それぞれの太さも大事。
 
 
これらを突き詰めていくと、
 
円?
それとも、他の通貨?
ということもポイントになってくる。
*このあたりは、話し出すと長くなるので、また改めて。
 
 
で、振込元をいくつも持つことは、結果的に、リスクヘッジにもなる。
 
 
えー、そんなこと無理!と感じる方もいるかもしれないけれど、毎度おなじみの、「まず、そこに解があること」を知ることが何よりも大切なことかと。
 
あくまで、どんな設計図を最初につくるか?がポイント。
 
なので、そればかりをしていて、全く時間がとれなくなって、他のことを手がけたり、ボーっとする時間(苦笑)を確保できなのは、絶対にしないようにしている。

 
 

強いつながり。弱いつながり。

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強いつながりは最小限にしつつ、弱いつながりをたくさん持つ生き方へ。
 
つながりを持つことをよしとしたり、
または生きていく上で、やむを得ず、強いつながりを持つことになってしまうこともあるかもしれない。
 
だけれども、強いつながり自体は、最小限に留める必要がある。
 
なぜか?
 
強いつながり自体に、引っ張られてしまうと、しょーもないことばかりに振り回れるからだ。
 
人間の悩みのほとんどは、大体、人間関係に起因する。
だからこそ、強いつながり自体は最小限に留める。
 
相次ぐ、過労死や過労自殺などの話を耳にするたび、自分にとっての強いつながりを「これしかない」と限定的なもと捉えがちだ。
 
強いつながりを最小限にするのは、単に面倒事に振り回されないためだけではない。
 
自分にとって新しく価値の高い情報をもたらしてくれる可能性が高いから。
これは、社会学かなにかの論文でも書かれていたことで。
 
強いつながり同士だと、ライフスタイルも価値観も似通ってきて、新たなアイデアや新たなことをするきっかけが限られる。
 
一方、弱いつながり同士だと、逆にライフスタイルも価値観も全く異なってくる。
異なってくれば、当然、それまで考えたことがなかったことを考えるようになり、考え方が変われば、行動だって変わる。
行動が変わってくれば、当然、これまでとはことなった成果を上げることが出来るようになる。
 
 
そのためには、強いつながりを、最小限にすることを、自分の選択で、コントロール出来るようにする。
 
だって、選択できずに、望まない強いつながりに引っ張られ続けるのは、辛い。
もちろん、そんな辛いことを我慢することを美徳とすることも知っている。
 
ただ、我慢を美徳とするか、不要なものととするか?は各個人の考え方であって、それぞれを強要するようなことでもない。
 
 
生きたいようにいきるためには、色々と身軽に。
 
 
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それがないと。。。

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○○になったら、幸せ
○○を得られたら、幸せ
 
結構、こう思っている方が、多い。
というか、それが当然でしょ?と
思っている方ほとんど。
 
だから、その○○がないと、
不幸せだし
しんどい。
 
今、○○がないから、自分は不幸だ、と。
 
 
ずっと、○○を求めていて、
ずっと、欠乏状態、渇望状態が続く。。。
 
 
 
実は、あべこべ。
 
今、幸せを感じきってしまう。
○○があるなしは、関係ない。
*現実一切無視!
 
 
○○になる
○○を得られた
 
から幸せになるのでは決してなくて、幸せでいるからこそ、幸せな状況があらわれる。
 
 
これは、よく鏡にたとえられる。
 
鏡にうつっている姿=現実
鏡の前に立っている=自分(内面)
 
鏡にうつっている姿(現実)が不幸せ
だからといって、鏡に手を突っ込んだり
しないですよね?
 
単に、鏡の前に立っている自分(内面)を変えちゃえば、勝手に反映される。
 
もちろん、鏡のように、直ぐに反映されるわけではもちろんなく、時差があるけれど、鏡の前に立っている
自分(内面)に反映される。
 
ただ、それだけのこと。
 
 
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絶望的な

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ゴール設定だなんだといっているけれど、基本的に人は放っておいたら、絶望の方向へ向くものだと思っていて。
*僕だけ?

振り返ってもみると、僕自身、絶望少年だった気がする。

だからこそ、意識して、自分の機嫌をとっていく。
意識をするからこそ、自分の機嫌をとることが出来き、何もしないから、絶望するとも言える。


絶望
可能性

絶望があるからこその可能性。
可能性があるからこその絶望。

コントラストがあるからこそ、それぞれを認識できるわけで、どちらか一方しかなかったら、のっぺらぼうな感じでしかない。


これは、色んなことにも言えて。

そう考えると、絶望って悪いように捉えられがちだけれど、絶望を知っているからこそ、可能性の本当の意味だって、感じとることが出来るともいえる。

となると、絶望って、本当に絶望なのか?


絶望=ダメ!
という定義付けがダメで、絶望そのものがダメではない。


絶望は、絶望で感じ切ってしまう。
別に絶望自体が悪いものではないのだから。

で、絶望を感じているなぁ、と自分で気づいて、絶望を感じている状態は、不快だと感じたら、自分の機嫌に意識を向けて、機嫌を取っていく。

ステップとしては・・・

1.「お、今日も絶望を感じているぞ」と気づく*意識をしないと、絶望。
2.「絶望」は、不快だと感じた
3.不快ではない方向へ意識を向ける。*意識して自分の機嫌をとる


で、ポイントとしては、ステップ2.の「不快と感じた」で、不快と感じずに、実は絶望を感じていることを好んでいる人だっているかもしれない。
だって、色んなことを自分で感じ取ることが出来る中で、その中で「絶望」を選択しているのだから。

気づいた上で、それでも尚、意識をして選択しているのであれば、それはしたくてしていることだし、
仮に無意識だとしても、「あ、絶望を感じている」(ステップ1)と気づいたら、そこからどのような選択をするかは意識を出来るはず。

クセみたいなものなので、気づいたら修正をするだけ。

無意識で絶望し、それに気づきつつ、また絶望を選択するようであれば、絶望を好んでいるだけ。



絶望して、絶望して、絶望しきったところに、解があるのかもしれない。
解、そもそも何なのか?は自分自身で選択出来る。


こうして、書きながら色んなことを浄化していく。

 

 

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不幸でいたいから?

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基本的には、マイナスもプラスも捉え方次第なので、どちらでもないというスタンスではあるけれど、便宜上、マイナスの状況にあるとして、そのマイナスの状況って本人にとっては、しんどいことなのかおしれないけれど、そんなしんどい状況すらも、同様に捉え方・考え方次第で。



これこれこんなことが起こって、
私はとても不幸なんです
私は辛いんです

と周りにいったり、しても何かが変わるわけでもなく。
さらに、自分自身にそのように言い聞かせるようなもの。(本人はそんな意識がないとしても)


これは、結局、

しんどい
辛い

状況にばかり焦点があるからこそ、さらにそれに呼応した状況が目の前にあらわれてきて、

さらに

しんどい
辛い

が続いていく。

ということを、そろそろ気づいた方がいいと思うんです。

こーゆーことについて、僕は毎度毎度、手を変え品を変えながら、お伝えしていることだけれど。

つまり、どこかで自分で発想の転換というか、考え方・捉え方をガラリと変えることを、意識してみるしかない。



これこれこんなことが起こって、
私はとても不幸なんです
私は辛いんです


と言いながらも、自分自身で八方塞がりな状況を作り出しているようなもので、自分自身を責め立てたり、追い込んでいれば、しんどくなったり、辛くなったりして当然で。


じゃあ、打開策としては、何か具体的な策を打てば、万事OKということはないのだけれど、少なくとも、今の状況ではない、自分がどの方向にいきたいのか?ということをまず、見定めることしかない。

具体的な策をどうするか?ということなんかは、後からいくらでもついてくるし(感情の先取り)、思いつくようだったら、既に策を打っているはず。

打てないのは、策が見当たらないとかそんなことではなく、どんな心持ちでいるのか?が全てであり、これがいつもいっている、現実は内面の結果であるということ。

 

 

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こんな心持ち

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あなたは、今、何か問題を抱えていますか?
恐らく、何も問題を抱えていないという方が、少数でしょう。
 
 
ほとんど何らかの問題を抱えていて、それをどうにかしなきゃ!と思っている。
わー、問題が起きた!
どうしよう!
アワワワ・・・
大変だ!!
 
その「どうにかしなきゃ!」が、そもそも問題で。
 
 
 
問題を、問題として捉えるか?問題じゃないと捉えるか?
 
 
人からの相談って、相談者本人にとっては、問題なのかもしれないけれど、意外と相談された側からしたら、それってそんなに問題?ってことありませんか。
もちろん、当事者じゃないからそんなことを言えるということもあるかもしれないけれど、当事者云々以前、問題の捉え方だと思うんです。
 
それが問題と捉えるよりも、もっと他に根本的な問題があって、実はその根本的な問題を解決してしまえば、他の問題もドミノ倒しのように解決してしまったり。
で、意外とその根本的な問題というのは、本人の思い込み・強固な定義付けそのものに問題があることがほとんど。
 
~ねばならない
~じゃなきゃならない
 
と思い込んでいるのは、当の本人だけで、実は
 
~ねばならない
~じゃなきゃならない
 
ということって、実はそんな多くはない。
というより、ほとんどない?
 
 
問題の最も根本的な解決法とは、解決策が浮かぶことではなく、
 
これはそもそも問題ではない
 
そう思える、そう捉えることが出来る、心持ち。
 
 
問題を先送りするという意味ではないですよ。
捉え方の問題。
 
自分の中でのしっくりくる感が出てくると、問題を問題ではないと確信を持てるようになる。

 

 

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